稲作

日本のルーツ京都(?)に近いこの地でお米を作り始めました。人里離れた狭い谷すじに、3分の2エーカー(2反5畝)ほどの田んぼを持っており、5つの区画が段々になって、田植えは、昔の方法、つまり手で行っています。

最初の年、私たちは、もう1カップルと一緒に、あらゆる仕事を自分たちでやったのですが、背中の痛む仕事は、とてもロマンティックと言えるようなものではありませんでした。それに、害虫、雑草、病気によって稲はいたみ、ウサギ、シカ、イノシシなどは分不相応の分け前を取っていってしまいましたし、台風による打撃も受けました。多くの友人が集まり、毎年、5月3日の祝日に、田植えパーティーを開催しました。100人を越える方々が手伝いにきて、狭い谷は笑い声に包まれ、苗を植え、食事をし、お酒を飲みます。その後の期間は、近所の農家の方が水の量を確認し、害虫や雑草の監視をしてくれました。

そして、収穫の時期になると、再び人々が集まるのです。出来の良い年などは、1トンのお米を収穫することもありました。毎年、かやぶき音楽堂のコンサートに5千人から6千人の人々が来られ、私たちの家族のほかに、これらの人々も加えると、お米を口にする人の数、つまり人口は膨大です。いまも、コンサートのお客さんは、コンサート終了後、1人に1つ、おにぎりを受け取ることが慣習となっています。

楽しかった仏原の里での米作り

エルンスト・ザイラー亡き後は、休耕田になっています。お田植えで育んだ多くの友だちとの絆は、仏原で生まれた宝です。

かやぶきコンサート後の「おにぎり」

コンサートのお客様には、胡麻の里でとれた美味しいお米のおにぎりをお出ししています。

ファーム(農園)
ファーム(農園)